《Fireflies(蛍)》 The prospect of having the other do poorly did not of course please him. He had not forgotten the lady of the evening faces. He often spoke of her, and he went on wondering what had happened to the child. The lady had put him off guard with her gentleness and appearance of helplessness, and so he had lost a daughter. A man must not under any circumstances let a woman out of his sight. Suppose the girl were to turn up now in some outlandish guise and stridently announce herself as his daughter―well, he would take her in. "Do not dismiss anyone who says she is my daughter," he told his sons.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「蛍(ほたる)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。☆E0203和本江戸期青森県弘前あたり「御国神社仏閣」1冊/坂本忠久/古書古文書/手書き。
「蛍の巻」は、3代将軍家光の長女千代姫が婚礼調度として持参した国宝「蛍の調度」は、「源氏物語絵巻・蛍」に依拠することで知られております。中井恒次郎(中井芳滝)編画『堺名所案内』明治27年田村與三平刊(大阪府堺市)明治時代和本 彩色石版画3丁入 大阪の浮世絵師・中井芳滝絵入。原文は「源氏物語・蛍の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。古文書 水戸大平記 茨城県 水戸 歴史。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。算法指南車 ☆ 新編塵劫記 百家通用 ☆ 1769(明和6)出版 吉田光由 ☆ 和綴じ 和算 算術書 江戸時代 ☆ 送料無料。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。小沼丹 初版本3冊セット『懐中時計』『銀色の鈴』『埴輪の馬』いずれも函帯付完品。現在の今上天皇と系譜がつながっている。若山善三郎編『温故雑集』(2輯セット=「弘法大師御入定勘决記」「長福寺七寺一切経」) 大正14年 名古屋温故会 伊東富太郎旧蔵書。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。花伝書原典叢観 宗清花伝書 ぬきがき条々 花傳書 2冊。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。古文書 傳燈大阿闍梨律厳 許可密栓 享和3年 江戸時代 仏教 密教 真言宗 空海 検)天台宗仏陀浄土真宗浄土宗親鸞法然本西院流印信案密印NP。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。柳下亭種員録 歌川国芳画『天満宮御一代記』嘉永8年序 須原屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 菅原道真一代記 彩色木版画6面入 読本 浮世絵 錦絵。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。小田島孤舟『歌集 秋遅草』昭和13年 杉風会刊(岩手県盛岡市)著者直筆献呈署名入 花巻市出身の歌人 萬鉄五郎の同級生。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。加賀藩士 榊原拙處(榊原拙処)『書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/名:守典 字:子常 号:拙処 南画家・書家の文人武士 石川県 漢詩 南宋画得意。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。金沢鋓吉編『正義高潔改進党話 全』明治16年 三春堂刊立憲改進党 大隈重信 明治時代政治史料 自由民権運動 政党論。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。中金正衡『大倭語学手引草 前編』(全2冊揃)明治4年 自笑軒蔵版 元袋付(浮世絵師・歌川国員)明治時代和本 日本語文法書・国語学書 国学。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。士気振興 最新日本陸軍軍歌集 昭和10年 旧日本軍 軍事 ミリタリー 戦前明治大正古書和書古本 NP。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。エフェメラ 北園克衛「中村書店 栞」1960年代頃。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。十返舎一九作 歌川国安画『三国志画伝』(17冊)嘉永3年 大黒屋平吉板 中国稗史 江戸時代和本 合巻 浮世絵 絵草紙 草双紙 三國志画傳。また、各巻ごとの書かれた年については不明。長良川鵜飼之図。従って、応永五年とは、書き始めの年である。中山御祈祷図 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前明治大正古書和書古文書古本 NS。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。長崎聞見録(長崎見聞録)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。羽州秋田木曽石村『正一位木曽吉山大観現辰命院』掛軸〔紙本版摺〕木曽吉山大明神 出羽秋田郡太平木曽石村 別當辰命院 愛染明王 大日如来..。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。★0415和本江戸文久3年(1863)軍隊規則写本「隊伍組立其外規則書」1冊/古書古文書/手書き。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。アラン・シャンド原著 海老原済・梅浦精一譯『銀行簿記精法』(4巻4冊)明治6年 大蔵省刊 明治時代和本 銀行会計学。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。香川景樹『百首異見』(全5冊揃)天保6年 河南儀兵衛等他刊 江戸時代和本 藤原定家撰「小倉百人一首」注釈書 契沖/賀茂真淵らへの反論。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。軍人読本・3冊/高橋静虎編集・寺内正毅校閲/明治35年/和装本/陸海軍・軍隊・軍艦・水雷駆逐艇・水雷艇・潜行水雷艇・軍旗・軍人の亀鑑。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。日本鍼灸学教科書 経穴 病理古書 古本。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。水谷不倒(水谷弓彦)編『浮世草子西鶴本』大正9年 水谷文庫刊 井原西鶴絵入本を木版摺で紹介。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。児童用品研究会『日本玩具集』(2冊)大正6年山田直三郎/芸艸堂刊 彩色木版画譜 郷土玩具・郷土人形集 武田真一 巌谷小波。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。図案家協会編『蒐集手拭』昭和2年芸艸堂刊 小西一四三蒐集手ぬぐい作品集 手拭い 染織工芸品。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。神変大菩薩報恩勤行式 大正5年 経本 御経 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教天台宗 戦前明治大正古書和書古文書古本 NS。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。宮武外骨 此中にあり 雑誌集成 第1期 全13巻セット スコブル/頓智協会雑誌/滑稽新聞 ゆまに書房 1993年〜1994年発行 全巻帯付き。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。★0441和本江戸天保2年(1831)兵法写本「山鹿流極秘伝八規大事/八陣書」2冊/山鹿素水(高輔)の署名と印章がある/古書古文書。
出品した「源氏物語」は蛍(よこぶえ)の内容の要旨
「蛍の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。和本 「和刻本 諸子大成 全12冊」 長澤規矩也 漢籍 影印。第25帖。レZ844サ★聖徳太子伝暦補註 全10巻揃 享保7年 五天良空刊行蔵版 江戸期/和本/古書。光源氏36歳の5月の話。引札 えびすと鶴。五月雨の頃、兵部卿宮から玉鬘に文が届き、源氏はそれに返事を書かせた。零本 安井湖東画「彩色木版画譜」(書名不詳)明治30年 松野米治郎刊 彩色木版画譜 浮世絵 錦絵 日本史 歴史画 明治時代和本。喜び勇んで六条院にやってきた兵部卿宮の前で、源氏は几帳の内に隙を見て袋に入れて隠していたホタルを解き放ち、その光で玉鬘の姿を浮かび上がらせて見せた。岡山鳥編 長谷川雪旦画『江戸名所花暦』(全4巻3冊揃)天保8年 須原屋茂兵衛他刊 江戸時代和本。予想以上の美しさに心を奪われた兵部卿宮は想いを和歌で訴えるが、玉鬘はつれなくあしらうだけだった。藤野勝弥著 中谷政一編『木村重成関係資料の調査 附元徳元年銘兼光短刀の調査』昭和16年中央文化研究会刊 刀工・備前長船兼光 日本刀剣 戦。その美しさにますます夢中になってしまう。古文書 「田舎土産むらさきぞうし」 水戸天狗党 筑波山挙兵 幕府追討軍 歴史資料 和書 (レターパックライト発送)。この逸話から、兵部卿宮は蛍宮、蛍兵部卿宮等と呼ばれる。仙傳抄 上下巻セット 日本華道社 仙伝抄 田中重太郎 岡田幸三 昭和56年発行 日本華道社 池坊 華道 生け花 古書。蛍兵部卿宮は変わらず熱心に玉鬘に恋文を送ってきていた。京城勝覧 貝原篤信 天明再木 江戸 木版 和本 古地図 寶永3年序 貝原益軒の絵入り京都名所案内 1780年代 89画 内裏 清水寺。源氏は一計を案じ、蛍兵部卿宮に色よい返事を書かせる。皇太子殿下岡山県行啓誌/岡山県/昭和2年/昭和天皇/縣下各地を御巡啓あらせられて具さに教育産業・自治其の他 各般の情況を観察せしめ給ひた。喜び勇んで玉鬘の屋敷にやってきた蛍兵部卿宮は、源氏が隠れているとも知らず、几帳を隔てた玉鬘に向かって対座した。写本 加州敵討 古今忠義鏡 江戸時代 武術活劇 武士 武道 加賀国 石川県 検) 戦前明治大正古書和書古本古文書 NS。几帳の内にホタルを放ち、玉鬘の姫君の美しさを際立たせる方法は広く知られている。浄土論隋釈 月珠 嘉永7年 仏教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教 古書和書古本古文書 真宗大谷派 NR。
自筆原本上部に「蛍(ほたる)」には、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。林米子『新撰裁縫独稽古 附普通女礼式及日用惣菜料理法 全』明治27年 松村孫吉刊 明治時代和本 明治中期の女学生向け裁縫・日本料理教材。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。山内金三郎編『再刊これくしょん』(33冊) 昭和22-29年 梅田書房刊 芹沢銈介蔵書票 富本憲吉木版画・印譜他 郷土玩具 蔵書票 こけし。源氏の君が蛍を放って玉鬘の姫君の美しさを蛍兵部卿に見せたことに由来しております。鶴田吾郎・川端龍子 画文集2冊セット『大和めぐり』『きそ路』大正4-5年 スケッチ倶楽部刊 元版初版本 石版画譜 彩色木版画2枚入。「蛍」の巻の原文には、「おどろかしき光見へは、宮ものぞきたまはん」とある。☆3138和本江戸嘉永4年(1851)国学「言葉の道行ぶり」全1冊/小板橋好里/古書古文書/木版摺り。五月の晩、源氏の君は玉鬘の身辺に蛍を放ちほのかな光の中に玉鬘の姿を映しだす有名な場面です。古文書 書簡 酒井三良 原孝恒 宛て 封筒付き 歴史資料 日本画 福島県 会津 三島 (レターパックライト発送)。玉鬘の姫君の美しさを中国の楊貴妃を並ぶ絶世の美女と称される王昭君の美しさを現したものです。竹久夢二 図録 検索⇒ 美人画 大正ロマン 大正の浮世絵師 屏風 洋画家 掛軸 三味線 宵待草 出帆 女性像 挿絵 絵本 絵図版 図録 撫子 黒船屋。王昭君は、漢の王宮の絶世の美女なのに、匈奴との外交のため遠く胡国の匈奴王呼韓邪単于(こかんやぜんう)へ送られる。激レア!! 貴重 128年前の彩色木版摺 入手困難 『美術宝庫 第五号』画博堂 明治28年(1895年) 是真 道風 師宣 豊信 北齋 広げて額装も可。白楽天の五言絶句「王昭君」の漢詩で詠われている。引札 エビス大黒とお宝。「玉鞍」は、ヒスイの宝石で作った鞍です。小倉市街地図。現代語訳にすると「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた。天保八春再販 武蔵國長幡王所宮神主 笠原豊前守藤原英證謹撰 『改正大日本國神代系圖附社 』マクリ〔紙本版摺〕/江戸時代 古文書 神道 木版。」というものです。森本幾蔵『民主燈』明治29年刊(鳥取県岩井郡服部)明治時代政治論 政体論 自由民権運動 石版画入。紫式部が「蛍」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。引札 金のなる木と鶴亀。詳細な理由は下記説明欄に記載押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。★0411和本慶応元年(1865)天狗党の乱写本「風説水流止」1冊/南総糸川村/能城昌博写/古書古文書/手書き。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
「蛍」の巻は英文で「Fireflies」と表記されます。引札 紙巻たばこと葉巻。
《自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。『玩具に就いて ランバス女学院保育部三年生』戦前刊 聖和女子学院資料。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。古文書「御初代之記草稿」 (全10巻) 5冊 徳川義直 源敬公 尾張藩主 一代記 タトウ箱 歴史資料 偉人伝 愛知県。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。1883年 紋様書 明治16年 奈留美か多 検索⇒図案 香盒 設計 木版摺 支那 文様 古玉 武器 兵器 軍服 古建築 彫文 小田切春江 浮世絵 絵本龍紋。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。山下関一/林栄吉編 長谷川小信画『歌舞伎隈取百面種』(全5集揃/彩色木版画50枚入)大正14年浮世絵版画刊行会(京都市西洞院五條)。)
「自筆原本」
自筆右下四つの印のうち上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。范成大著 阿部櫟斎校『梅譜菊譜』文政13年序 巴菽園刊 江戸時代和本 丹波修治旧蔵書(三重県の本草学者)唐本漢籍和刻本 植物学 花譜。
下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。新鐫改正絵玉古銭鑑。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。☆3193明治8年(1875)書道免状巻物「運筆法伝統」1巻/暉山俊淳(小山内暉山)青森の書家/古書古文書/手書き。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。古書 古文書(版本)「近世紀聞」 3巻セット 元治甲子年之事件 水戸藩 天狗党 筑波山 武田耕雲斎 (レターパックライト発送)。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【貴重な本面多数掲載】『能面大鑑』(序、上、中巻 3冊)大正14(1915年) 各巻に、面打ち“北澤耕雲”の蔵書印有 +『能楽古面大観解説』。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古文書 略地鎮 仏教 密教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然 不動明王神道 古書和書古本写本 NR。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。考古学会編 寺崎広業・小堀鞆音模写『扇面古写経下絵』大正9年刊 四天王寺所蔵「扇面法華経冊子」(平安時代)仏教美術 日本美術。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。柳原公 長三洲 福島柳圃『書画3作貼り』掛軸〔絹本肉筆真作〕/ 志士 南画家 古文書 掛け軸。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。番附 御免力持。》
《こほ(滞)り給ひ、》・・・・・姫きみ(君)もかく
こと(事)たかふさまにて物し給へは、いとくち(口)
お(惜)しとおほ(思)す。色紙 大山康晴。かのなてしこをわす(忘)れ給はす、
物のお(折)りにもかた(語)り出給しこと(事)なれは、
「いかになりにけん。■顕本法華宗要品 並回向文 総本山妙満寺蔵版 大正(1913)2年4月 初版 版木2枚揃い■南無妙法蓮華経 日什大正師 木版 仏教 経典 佛教美術■。もの(物)はかなかりけるおや(親)の
こゝろ(心)にひ(引)かれて、らうたけなりし人を、
ゆ(行)くへし(知)らすなりにたること。古文書 書簡 横瀬夜雨 斉藤氏 宛て 長文 珍品 茨城県 下妻市 詩人 歌人 茨城新聞 歴史資料。
すへて女子とい(言)はむ物なむ、いかにもいかにも
め(目)はな(放)つましかりける。幕府領(松本藩預地)北小河内村古文書●寛永18年(1641) 師鑑抄中 地利巻 自一至十 北条氏長 54丁 城縄張 現在の長野県箕輪町 231119。さかしらに我子とい(言)ひて、
あやしきさまにてはふれやすらむ。『今様』(6冊セット)明治45-大正2年 松屋呉服店刊 泉鏡花 跡見花渓 幸田露伴 鏑木清方 矢沢弦月 中沢弘光ら絵。とてもかくても
きこ(聞)え出こ(来)は」と、あはれにおほ(思)しわたる。残存唯一?/[澎湖島大観・井原伊三太郎・昭和7(1932)]/陸軍要塞司令部・陸軍要港部/台湾。
君たち(達)にも、「もしさやうなるな(名)の(乗)りする
人あらは、・・・・《みゝ(耳)とゝめよ。式場隆三郎著 柳宗悦題簽 外村吉之介布装 芹沢銈介型染和紙カバー『夜の向日葵 テオの手紙』限定200部(和紙特装本)昭和17年 畝傍書房刊。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。平和記念東京博覧会。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《源氏の君が直衣の袖に蛍を隠し姫君の部屋の前で光を解き放つ有名な場面》
《源氏の君が放つ蛍の光に驚く姫君を描いた「源氏物語」の有名な場面を記した原文》
《五月五日、端午の節句・宮中での競射と競馬を源氏の君が玉鬘の姫君と見学する》
《紫の上と源氏の君が宇津保物語についてお話をされる》
《内大臣(昔の頭中将)名声や権勢を誇り娘たちの入内を夢見る》
《大臣(源氏の君)の何事も思いどおりになる名声や御威勢にまかせて、
みなひとかどの地位につかせていらっしゃる。茶の湯 裏千家 千宗室 茶道本 茶之湯 利休居士 本勝手 炭手前 風炉 隅炉 點茶 茶室 茶器 茶碗 茶入 水指 茶釜 茶筅 茶巾 點前 棚荘方 点前。
娘はそうたくさんおありでないのに、弘徽殿女御(こきでんのにょうご)も
ああして期待しておられたことがそのとおりにならず、》・・・・《雲居雁の姫君も
あのように思いに反する有様でいらっしゃるから、まったく残念なお気持である。幕府領(松本藩預地)北小河内村古文書●明暦3年(1657) 箕輪庄 18丁 箕輪地区の歴史 伊那郡北小河内村 現在の長野県箕輪町 231120。
あの撫子(なでしこ)の姫君(夕顔の娘・玉鬘の姫君)のことをお忘れにならず、
何かの機会にもお言い出しになったほどなので、
(内大臣)「あの娘(夕顔の娘・玉鬘の姫君はどうなったことだろう。☆E0242明治16年(1883)梅の花の番付「梅花集」1点/駒込清水弥平太ほか/古書古文書/木版摺り。
どことなく頼りなかった母親(夕顔の君)の了簡から、いかにもかわいらしい
子だったのに、とうとう行方(ゆくえ)知れずになってしまった。1913年 装束甲冑図解 2冊全 検索⇒武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 範士 兵法 兵書 傳書 戦陣 鎧兜 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。
だいたい女の子というものは、どんなことがあろうと目を離しては
いけなかったのだ。信州 霊場百番札所詠歌道記 駒獄 御嶽山 修験道 御嶽教 神道 神社 長野県諏訪市 検定)三寶大荒神天皇教派神道仏教仏陀真言宗密教天台宗 NP。今ごろいい気になってこのわたしの子だと名のり、
みじめに落ちぶれた身の上でさまよっているのではなかろうか。明治期 紋様書 雛類弥家多 検索⇒図案 香盒 設計 木版摺 支那 文様 古玉 武器 兵器 軍服 古建築 金彫文 小田切春江 浮世絵 絵本 絵図 壁画。
どんな格好にせよ、申し出てきてくれたら……」
と、内大臣(昔の頭中将)は、しみじみ懐かしがっていらっしゃる。大宰府【宮小路康文】『書』巻物〔紙本肉筆真作〕/明治時代の 書家 天台宗僧侶 僧名:仙賀 書家名:浩潮・古梅 富岡八幡宮の横綱力士碑も揮毫。
ご子息たちにも、
(内大臣)「もしそのような名のりをする
者がいたら、・・・・・・《聞きのがさぬようにしておくれ。古文書 木村武山 書簡 掛軸 堅山南風 宛 茨城県 笠間市 出身 日本画 歴史資料。》
注記・原文の内容は、内大臣(昔の頭中将)が、自分の娘(雲井の雁の姫君と玉鬘の姫君)が、将来入内し帝の后として立后し、帝の外戚としての地位を得ることを夢に抱いていることが背景としてあることをうかがい知ることのできる場面を記している。増田鋼撰 大田南畝題字 丹羽桃渓画『鼓銅図録 完』住友氏蔵版 和本 絵入本 彩色木版画譜 銅の採掘精錬過程を紹介 別子銅山・鉱山資料。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。平安紋鑑 検索⇒紋帳 文様 家紋 伊呂波 浮世絵 槍旗印 花押 雅印 印譜 武器 武具 兜鎧 設計 皇族 槍印 図案 紋章 徽章 紀章 武鑑 呉服 刺繍。
《Fireflies(蛍)》
The prospect of having the other do poorly did not
of course please him.
He had not forgotten the lady of the evening faces.
He often spoke of her, and he went on wondering
what had happened to the child.
The lady had put him off guard with her gentleness
and appearance of helplessness, and so he had lost a daughter.
A man must not under any circumstances let a woman
out of his sight.
Suppose the girl were to turn up now in some outlandish guise
and stridently announce herself as his daughter―well,
he would take her in.
"Do not dismiss anyone who says she is my daughter,"
he told his sons.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《蛍》
次女云居雁希望入,
亦事与愿,内大臣引憾事。tk◆◆ 明治21・22年 数学講義録 代数学之部 創刊号第1号から第13号まで 13冊 / B-21。因此昔年夕所生的女儿,
他始不忘,逢机会,提到个孩子。幕臣 槍術家【高橋泥舟】『書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/ 名:政晃 講武所師範役上野寛永寺で徳川慶喜を護衛 山岡鉄舟 勝海舟と共に幕末の三舟。
他想:“个人不知怎了。御仕置留 天保9年~天保12年(26件) 浜田市古文書を読む会 浜田市立図書館 浜田藩/島根。很可的一个女儿,
跟了那个水性花的母,弄得下落不明。【相撲】「櫓太皷音高砂 : 四十八手相撲古実」孤蝶園若菜 編 発行:落合三雄 明治27年 高砂浦五郎 木版挿絵入り S1yn。
可于女子,无如何,切不可以放松。唐松神社の宮司 物部長元『田祖大神』まくり〔紙本肉筆真作〕/出羽物部氏 秋田県大仙市協和 神功皇后の創建,源義家が再建した神社の宮司。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」蛍の巻の末尾(原本番号21-B)右面と左面の押印。信濃高遠藩領高遠番匠村古文書●明治25年 池上家家系図 池上茶一 上伊那郡高遠番匠村 現在の長野県伊那市 231119。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。医学 和本 『改正増補 医道日用綱目』 明治6年 東洋医学 中医学 漢方 薬草 鍼灸 経絡 証 絵有り (古文書 唐本。冬姫は内大臣・通誠の養女。★0440和本江戸天保14年(1843)兵法写本「甲陽城制曲尺伝」全1冊/古書古文書/手書き。
冬姫は通称。【レア 大特価 格安】『増補 日本書画骨董大辞典』聚芳閣 池田常太郎 大正15年 国宝図版 明治天皇 日本刀 刀剣 宗近 粟田口 など解説。正式な名は伊達貞子。完品『清水寺史 通史』(2冊セット=第1巻+第2巻)1995-1997年 音羽山清水寺刊。左端の写真は「蛍の巻」末尾の拡大写真。【古文書時代鑑/復刻新装版 上下巻(解説本付)】東京大学出版会。
左上の篆書体は、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、
馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、
馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。古書 「水戸和歌見聞集」 義公 威公 水戸藩士 家族 歌集 高橋多一郎 金子孫次郎 斎藤監物 安島帯刀 藤田小四郎 (レターパックライト発送)。
篆書体の右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。■『サンカの社會資料編』三角寛著。昭和46年初版凾。■『サンカの真実三角寛の虚構』筒井功著。平成18年初版カバー帯。2冊一括購入希望。。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。★0451明治29年(1896)明治三陸地震津波「三陸東海岸大海嘯被害図」1点/東京朝日新聞附録。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(蛍の巻)MRI 25―20B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・蛍の調度品」の資料
下記写真は、源氏の君が兵部卿のために袋にいれた蛍を御簾の中に入れる場面を記しています。有賀長伯『和歌分類』(全7巻7冊揃)享和3年 須原屋平左衛門他刊 江戸時代和本 歌学書 和歌文学。
左が玉鬘の君、右が兵部卿。手漉和紙 毎日新聞発行 3000部限定 1021V5G。右下の玄関から様子を伺っているが源氏の君
上記絵巻は、「源氏の放った蛍の光により玉鬘の君美しさに感動する兵部卿
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。河辺正夫編『日本装飾大鑑』(全5冊揃)大正4年芸艸堂刊 彩色木版画譜 飛鳥時代以降の古美術品図案集 建築装飾 染織品 仏教美術 仏像ほか。
源氏物語「蛍」の巻の原本に記されております。古文書 書簡 辻永 つじひさし 中山森彦 宛て 水戸市 白馬会 帝展 日展 文化功労者 洋画家 植物画 封筒付き(レターパックライト発送)。紫式部が「蛍」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「蛍の巻」を書いていることがわかります。京屋飛脚資料。この原詩の言葉の引用は、「蛍の巻」に用いられていることで広く知られている。花鳥図式 全 高尚堂画譜。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。古文書 浮浪の従積悪見聞党 常陸水戸 天狗党 郷校 潮来 尊王攘夷。
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》の篆書体(てんしょたい)体の漢詩文の落款が押捺されている。小幡篤次郎・小幡甚三郎『英文熟語集 全』慶應4年 尚古堂発兌 江戸時代和本 元版(初版本)幕末期の英語参考書。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。染織 呉服 振袖 染織 図録 紋様 印染 着物 友禅 型絵染 江紋 板中形 版染 絞り染 紬織 錦織 紋織 図鑑 縮緬 綴れ 通 組紐 刺繍 佐賀錦 和服。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。成田蒼キュウ著 桜井梅室編『対塔庵蒼キュウ句集』(全2冊揃)天保10年刊 江戸時代和本 俳句集 俳諧 俳書。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。廓之花。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。出雲大社之図。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【貴重 京都の古写真】『明治の京都』田中緑紅(編) 京を語る会 写真50枚+解説冊子 祇園祭 高瀬川 京都駅 金閣寺 清水寺 四条大橋。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。古文書 博采館 関係 5点 一括 茨城 笠間 歴史資料 郷土資料。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。写本 嗣講開悟院演説三席 嘉永元年 霊 真宗大谷派 仏教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教 古書和書古文書 NR。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。★0457明治29年(1896)鳥瞰図「近衛歩兵第一旅団兵営之図」1点/全勝堂橋都儀助/銅版摺り。撮影後、展示のために再表装をしております。古書 古文書(版本)原南陽 「□狗傷考」 けいくしょうこう 水戸藩 侍医 医学書 狂犬病 江戸時代 歴史資料(レターパックライト発送)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。田宮仲宣(田宮橘庵)『橘庵漫筆』文政9年 塩屋卯兵衛他刊 江戸時代和本 絵入本 大田南畝・曲亭馬琴と親交をむすんだ戯作者の随筆集。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。佐藤忠良 リトグラフ年賀状一通(真作保証品)森谷均宛 昭和33年戌年 山城隆一レイアウト。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。伊勢貞丈『貞丈雑記』(4巻5冊セット=巻1~4)天保15年 岡田鼎蔵版 江戸時代和本 有職故実書。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。梅舒適弟子 川合東皐 聴雨山館印存 限定200部 検索: 印譜 書道 印影 封泥 篆刻 金石鼓文 羅振玉 花押 支那 呉昌碩 朱印 雅印 遊印 古璽印。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。『蒲生軍記』(全6巻揃)元禄8年深江屋太郎兵衛刊 江戸時代和本 戦国時代軍記 戦国武将 蒲生氏郷・織田信長・豊臣秀吉(朝鮮出兵)など。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。蘭学の泰斗!/[藤林普山・蘭学逕・27丁完揃]/藤林淳道。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。完品 北原白秋 直筆サイン入『雀百首』限定100部 昭和12年 草木屋出版部刊 木活字本(畦地梅太郎刻)手漉和紙本。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。身延山十一世行學院日朝眞蹟 横須賀藩家臣物集女家舊藏 文明一六年六月六日。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。1937年 中央公論 支那問題特輯 中華民国 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 租借地 北京 抗日。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。内臓一覽圖 著者兼發行者/山口縣士族/今田束 明治22年3月11日印刷。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。細川幽斎著 中院通勝補訂 菱川師宣画『百人一首像讃抄』江戸時代和本。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。■東寺【教王護国寺・夜叉神・御影堂】牛王宝印 3種揃■牛玉宝印 木版 弘法大師 空海 護符 御朱印 真言密教 御朱印 起請文料紙 京都■3。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。校正救荒本草。母は後水尾天皇皇女女二宮。『溪松名器録 一』明治時代和本 古美術商「谷松屋」茶道具図譜 茶の湯 千利休 古田織部 松平不味公 益田鈍翁。実母は近衛家女房(瑤林院)。完品 日夏耿之介『詩集 咒文』限定330部 昭和40年 冬至書房刊。幼名は多治丸。養蚕新書。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。不盡谷口傳(富士谷成章)吉川彦冨・山口高端筆受『かざし抄』(上中下巻 合本全一冊)明和4年序刊 江戸時代和本 国文学 挿頭抄。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。佐々木松後述『俳諧いまは昔』天明2年序 橘屋治兵衛 江戸時代和本 田中五竹坊伝 出雲俳人中島魚坊序文 俳諧書 俳書 俳句 連歌 俳諧今者昔。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。『増広四書題鏡味根録』(全8冊揃)中国上海刊 唐本 漢籍。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。完品 加藤健著 藤田嗣治装幀装画『詩抄』限定250部 昭和12年 竹村書房刊 直筆献呈サイン入(河井醉茗宛)元パラ付。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。1939年 古今刀剣のしるべ 2冊揃 検索:武器 兵器 日本刀 剣道 武道 武具 馬具 装身具 弓箭 弓道 武士道 甲冑 殺陣 戦陣 刀鍔 範士 兵法 傅書。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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