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低価格の 八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道6-B 和書

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メーカー e8cbc2a85eca 発売日 2025-04-19 06:09 定価 25000円
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低価格の 八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道6-B 和書

八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道6-B_画像1 八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道6-B_画像2 八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道6-B_不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道6-B_「升天入地求之遍」白氏文集の有名な漢詩 閉じる

「升天入地求之遍」白氏文集の有名な漢詩

八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道6-B_仙台藩医・木村寿禎の落款 閉じる

仙台藩医・木村寿禎の落款

八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道6-B_原本の断層画像写真 閉じる

原本の断層画像写真

八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道6-B_夕霧邸の匂宮と薫の君(椎本・絵巻) 閉じる

夕霧邸の匂宮と薫の君(椎本・絵巻)

八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道6-B_舟で演奏しながら姫君邸に向かう匂宮 閉じる

舟で演奏しながら姫君邸に向かう匂宮

八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道6-B_八の宮の家系図(大君・中の君) 閉じる

八の宮の家系図(大君・中の君)

八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道6-B_左・中の君、右・大君(国宝・拡大) 閉じる

左・中の君、右・大君(国宝・拡大)

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「椎本(しいがもと)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。昭和三年・陸軍特別大演習記録/昭和7年/非売品/盛岡市役所/今上陛下の御即位の大礼を祝う大演習の概要を纏め後世に伝えることになりました。

「椎本の巻」は、二月二十日ごろ、匂宮(今上天皇の皇子)は初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰りに宇治の夕霧(源氏の君の長男)の別荘に立ち寄る。h□ 明治書籍 竹久夢二 カラー表紙 少女世界 明治四十四年三月号 第六巻第四号 博文館 /A01。宇治の八の宮の姫君たちに関心があったからだ。彩色木版画譜『教育子供のをしえ』明治20年代刊 鳥類画譜 明治時代和本。匂宮は薫や夕霧(源氏の君の長男)の子息たちと碁や双六をしたり琴を弾いたりして楽しんでいる。☆E0219和本江戸天保12年(1841)国学和歌「百人一首新抄」全1冊/石原正明/古書古文書/木版摺り。宇治川を挟んだ対岸にある八の宮邸にもそのにぎやかな管弦の音が響き、八の宮は昔の宮中での栄華の日々を思い出さずにはいられない。1936年 新代議士写真名鑑 衆議院 帝国議会 アイヌ族 議員 戦前 古文書 検索⇒当時物 歴史資料 貴重 貴族院 生写真 満洲 興安嶺 安東県 新京。大君(おおいきみ)の美しさに心を惹かれる薫の君と大君、そして匂宮と中の君のきらびやかな恋物語が描かれている

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。小室洗心編『天橋百吟』昭和5年 小室万吉刊 京都府宮津市「天の橋立」(天橋立)を詠った句集 俳諧 俳句 俳書。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。閑日庵里編『三四考』(全2巻2冊揃)天保9年 天満屋武兵衛刊(阿州徳嶋)江戸時代和本 俳諧書 俳書 閑日庵鴎里 徳島県郷土資料 松尾芭蕉。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。[W3428] 希少本!「山形の和算」/ 山形県和算研究会発行「山形の和算」編集委員会編 平成8年3月1日 中古本。現在の今上天皇と系譜がつながっている。☆E0203和本江戸期青森県弘前あたり「御国神社仏閣」1冊/坂本忠久/古書古文書/手書き。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。中井恒次郎(中井芳滝)編画『堺名所案内』明治27年田村與三平刊(大阪府堺市)明治時代和本 彩色石版画3丁入 大阪の浮世絵師・中井芳滝絵入。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。古文書 水戸大平記 茨城県 水戸 歴史。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。算法指南車 ☆ 新編塵劫記 百家通用 ☆ 1769(明和6)出版 吉田光由 ☆ 和綴じ 和算 算術書 江戸時代 ☆ 送料無料。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。小沼丹 初版本3冊セット『懐中時計』『銀色の鈴』『埴輪の馬』いずれも函帯付完品。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。若山善三郎編『温故雑集』(2輯セット=「弘法大師御入定勘决記」「長福寺七寺一切経」) 大正14年 名古屋温故会 伊東富太郎旧蔵書。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。花伝書原典叢観 宗清花伝書 ぬきがき条々 花傳書 2冊。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。古文書 傳燈大阿闍梨律厳 許可密栓 享和3年 江戸時代 仏教 密教 真言宗 空海 検)天台宗仏陀浄土真宗浄土宗親鸞法然本西院流印信案密印NP。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。柳下亭種員録 歌川国芳画『天満宮御一代記』嘉永8年序 須原屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 菅原道真一代記 彩色木版画6面入 読本 浮世絵 錦絵。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。小田島孤舟『歌集 秋遅草』昭和13年 杉風会刊(岩手県盛岡市)著者直筆献呈署名入 花巻市出身の歌人 萬鉄五郎の同級生。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。加賀藩士 榊原拙處(榊原拙処)『書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/名:守典 字:子常 号:拙処 南画家・書家の文人武士 石川県 漢詩 南宋画得意。また、各巻ごとの書かれた年については不明。金沢鋓吉編『正義高潔改進党話 全』明治16年 三春堂刊立憲改進党 大隈重信 明治時代政治史料 自由民権運動 政党論。従って、応永五年とは、書き始めの年である。中金正衡『大倭語学手引草 前編』(全2冊揃)明治4年 自笑軒蔵版 元袋付(浮世絵師・歌川国員)明治時代和本 日本語文法書・国語学書 国学。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。士気振興 最新日本陸軍軍歌集 昭和10年 旧日本軍 軍事 ミリタリー  戦前明治大正古書和書古本  NP。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。エフェメラ 北園克衛「中村書店 栞」1960年代頃。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。十返舎一九作 歌川国安画『三国志画伝』(17冊)嘉永3年 大黒屋平吉板 中国稗史 江戸時代和本 合巻 浮世絵 絵草紙 草双紙 三國志画傳。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。長良川鵜飼之図。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。中山御祈祷図 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前明治大正古書和書古文書古本 NS。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。長崎聞見録(長崎見聞録)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。羽州秋田木曽石村『正一位木曽吉山大観現辰命院』掛軸〔紙本版摺〕木曽吉山大明神 出羽秋田郡太平木曽石村 別當辰命院 愛染明王 大日如来..。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。★0415和本江戸文久3年(1863)軍隊規則写本「隊伍組立其外規則書」1冊/古書古文書/手書き。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。アラン・シャンド原著 海老原済・梅浦精一譯『銀行簿記精法』(4巻4冊)明治6年 大蔵省刊 明治時代和本 銀行会計学。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。香川景樹『百首異見』(全5冊揃)天保6年 河南儀兵衛等他刊 江戸時代和本 藤原定家撰「小倉百人一首」注釈書 契沖/賀茂真淵らへの反論。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。軍人読本・3冊/高橋静虎編集・寺内正毅校閲/明治35年/和装本/陸海軍・軍隊・軍艦・水雷駆逐艇・水雷艇・潜行水雷艇・軍旗・軍人の亀鑑。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。日本鍼灸学教科書 経穴 病理古書 古本。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。水谷不倒(水谷弓彦)編『浮世草子西鶴本』大正9年 水谷文庫刊 井原西鶴絵入本を木版摺で紹介。


 出品した「源氏物語」は椎本(しいがもと)の内容の要旨
「椎本」(しいがもと)の巻は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。児童用品研究会『日本玩具集』(2冊)大正6年山田直三郎/芸艸堂刊 彩色木版画譜 郷土玩具・郷土人形集 武田真一 巌谷小波。二月二十日ごろ、匂宮(今上天皇の皇子)は初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰りに宇治の夕霧(源氏の君の長男)の別荘に立ち寄る。図案家協会編『蒐集手拭』昭和2年芸艸堂刊 小西一四三蒐集手ぬぐい作品集 手拭い 染織工芸品。宇治の八の宮の姫君たちに関心があったからだ。神変大菩薩報恩勤行式 大正5年 経本 御経 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教天台宗 戦前明治大正古書和書古文書古本 NS。匂宮は薫や夕霧(源氏の君の長男)の子息たちと碁や双六をしたり琴を弾いたりして楽しんでいる。宮武外骨 此中にあり 雑誌集成 第1期 全13巻セット スコブル/頓智協会雑誌/滑稽新聞 ゆまに書房 1993年〜1994年発行 全巻帯付き。宇治川を挟んだ対岸にある八の宮邸にもそのにぎやかな管弦の音が響き、八の宮は昔の宮中での栄華の日々を思い出さずにはいられない。★0441和本江戸天保2年(1831)兵法写本「山鹿流極秘伝八規大事/八陣書」2冊/山鹿素水(高輔)の署名と印章がある/古書古文書。翌日、八の宮から薫に贈歌があり、それを見た匂宮が代わりに返歌をする。和本 「和刻本 諸子大成 全12冊」 長澤規矩也 漢籍 影印。匂宮は帰京後もしばしば宇治に歌を送るようになり、八の宮はその返歌を常に中君に書かせるようになる。レZ844サ★聖徳太子伝暦補註 全10巻揃 享保7年 五天良空刊行蔵版 江戸期/和本/古書。年の暮れの雪の日、宇治を訪れた薫は大君と対面し、匂宮と中君の縁談を持ち上げつつ、おのが恋心をも訴え、京に迎えたいと申し出るが、大君は取り合わなかった。引札 えびすと鶴。翌年の春、匂宮の中君への思いはますます募るようになり、夕霧の六の君との縁談にも気が進まない。零本 安井湖東画「彩色木版画譜」(書名不詳)明治30年 松野米治郎刊 彩色木版画譜 浮世絵 錦絵 日本史 歴史画 明治時代和本。また、自邸の三条宮が焼失した後始末などで、薫も久しく宇治を訪ねていない。岡山鳥編 長谷川雪旦画『江戸名所花暦』(全4巻3冊揃)天保8年 須原屋茂兵衛他刊 江戸時代和本。夏、宇治を訪れた薫は、喪服姿の姫君たちを垣間見て、大君の美しさにますます惹かれてゆくのであった。藤野勝弥著 中谷政一編『木村重成関係資料の調査 附元徳元年銘兼光短刀の調査』昭和16年中央文化研究会刊 刀工・備前長船兼光 日本刀剣 戦。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。古文書 「田舎土産むらさきぞうし」 水戸天狗党 筑波山挙兵 幕府追討軍 歴史資料 和書 (レターパックライト発送)。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。仙傳抄 上下巻セット 日本華道社 仙伝抄 田中重太郎 岡田幸三 昭和56年発行 日本華道社 池坊 華道 生け花 古書。漢詩のは「天に昇ったり地に潜ったり、あまねく楊貴妃の魂を尋ね求め」という故事に由来する。京城勝覧  貝原篤信 天明再木 江戸 木版 和本 古地図 寶永3年序 貝原益軒の絵入り京都名所案内 1780年代 89画 内裏 清水寺。椎本の原文の中に匂宮の「おちこちの汀に波はへだつともなほ吹きかよへ宇治の川風」とい和歌がある。皇太子殿下岡山県行啓誌/岡山県/昭和2年/昭和天皇/縣下各地を御巡啓あらせられて具さに教育産業・自治其の他 各般の情況を観察せしめ給ひた。これは、匂宮と中の君の間を歌い「私たちの間に隔つとも宇治の川風よ私たちを親しくさせてください」と意味で、楊貴妃の魂を尋ね求める」ことにも通じる。写本 加州敵討 古今忠義鏡 江戸時代 武術活劇 武士 武道 加賀国 石川県  検) 戦前明治大正古書和書古本古文書 NS。紫式部が「椎本」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。浄土論隋釈 月珠 嘉永7年 仏教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教 古書和書古本古文書 真宗大谷派 NR。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。林米子『新撰裁縫独稽古 附普通女礼式及日用惣菜料理法 全』明治27年 松村孫吉刊 明治時代和本 明治中期の女学生向け裁縫・日本料理教材。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
「椎本」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。山内金三郎編『再刊これくしょん』(33冊) 昭和22-29年 梅田書房刊 芹沢銈介蔵書票 富本憲吉木版画・印譜他 郷土玩具 蔵書票 こけし。
《自筆上部の原本自筆上部に原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。鶴田吾郎・川端龍子 画文集2冊セット『大和めぐり』『きそ路』大正4-5年 スケッチ倶楽部刊 元版初版本 石版画譜 彩色木版画2枚入。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。☆3138和本江戸嘉永4年(1851)国学「言葉の道行ぶり」全1冊/小板橋好里/古書古文書/木版摺り。》

「額縁入自筆原本」

(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。古文書 書簡 酒井三良 原孝恒 宛て 封筒付き 歴史資料 日本画 福島県 会津 三島 (レターパックライト発送)。)

「自筆原本」

自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。竹久夢二 図録 検索⇒ 美人画 大正ロマン 大正の浮世絵師 屏風 洋画家 掛軸 三味線 宵待草 出帆 女性像 挿絵 絵本 絵図版 図録 撫子 黒船屋。

《自筆上部の原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること
遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。激レア!! 貴重 128年前の彩色木版摺 入手困難 『美術宝庫 第五号』画博堂 明治28年(1895年) 是真 道風 師宣 豊信 北齋 広げて額装も可。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。引札 エビス大黒とお宝。》

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。小倉市街地図。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。天保八春再販 武蔵國長幡王所宮神主 笠原豊前守藤原英證謹撰 『改正大日本國神代系圖附社 』マクリ〔紙本版摺〕/江戸時代 古文書 神道 木版。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。森本幾蔵『民主燈』明治29年刊(鳥取県岩井郡服部)明治時代政治論 政体論 自由民権運動 石版画入。


《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
《「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】
という漢詩文の落款が押捺されている。引札 金のなる木と鶴亀。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。★0411和本慶応元年(1865)天狗党の乱写本「風説水流止」1冊/南総糸川村/能城昌博写/古書古文書/手書き。》

《匂宮(今上天皇の皇子)・薫の君と宇治八の宮の姫君(中の君・大君)の物語》

《匂宮(今上天皇の皇子)、初瀬詣での帰途に宇治に立ち寄る》

《薫の君、匂宮(今上天皇の皇子)の迎えに八の宮邸に来る》

《匂宮(今上天皇の皇子)と中の君、和歌を詠み交す》

《すさひな》・・・めり」と、そゝのかしたまふ時々、
中の君そ聞こえたまふ。引札 紙巻たばこと葉巻。姫君は、かやうのこと、
戯れにももて離れたまへる御心深さなり。『玩具に就いて ランバス女学院保育部三年生』戦前刊 聖和女子学院資料。
いつとなく心細き御ありさまに、春のつれつれは、
いとゝ暮らしかたく眺めたまふ。古文書「御初代之記草稿」 (全10巻) 5冊 徳川義直 源敬公 尾張藩主 一代記 タトウ箱 歴史資料 偉人伝 愛知県。ねひまさりたまふ
御さま容貌とも、いよいよまさり、あらまほしくをかしきも、
なかなか心くるしく、「かたほにもおはせましかは、
あたらしう、惜しき方の思ひは薄くやあらまし」なと、
明け暮れ思し乱る。1883年 紋様書 明治16年 奈留美か多 検索⇒図案 香盒 設計 木版摺 支那 文様 古玉 武器 兵器 軍服 古建築 彫文 小田切春江 浮世絵 絵本龍紋。
 姉君二十五、中の君二十三にそなりたまひける。山下関一/林栄吉編 長谷川小信画『歌舞伎隈取百面種』(全5集揃/彩色木版画50枚入)大正14年浮世絵版画刊行会(京都市西洞院五條)。
《第五段 八の宮、娘たちへの心配》
宮は、重く慎みたまふへき年なりけり。范成大著 阿部櫟斎校『梅譜菊譜』文政13年序 巴菽園刊 江戸時代和本 丹波修治旧蔵書(三重県の本草学者)唐本漢籍和刻本 植物学 花譜。
ものこゝろ(心)ほそ(細)くおほ(思)して、
御をこな(行)ひつね(常)・・・《よりもたゆみなく》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。新鐫改正絵玉古銭鑑。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。☆3193明治8年(1875)書道免状巻物「運筆法伝統」1巻/暉山俊淳(小山内暉山)青森の書家/古書古文書/手書き。


《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
《匂宮(今上天皇の皇子)・薫の君と八の宮(桐壺帝の皇子・朱雀天皇の皇太子)の姫君(中の君・大君)の恋物語》

《匂宮(今上天皇の皇子)、初瀬参り(長谷寺参詣)の帰途、宇治・八の宮邸に立ち寄る》
《八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待》

《八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)姫君(大君・中の君)の将来を案じる》
《八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)も、
(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)「やはりご返事はおあげなされ。古書 古文書(版本)「近世紀聞」 3巻セット 元治甲子年之事件 水戸藩 天狗党 筑波山 武田耕雲斎 (レターパックライト発送)。
特に懸想めいたお手紙といったお扱いはすまい。【貴重な本面多数掲載】『能面大鑑』(序、上、中巻 3冊)大正14(1915年) 各巻に、面打ち“北澤耕雲”の蔵書印有 +『能楽古面大観解説』。
なまじそうするとかえって気を持たせる種にもなりましょう。古文書 略地鎮  仏教 密教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然 不動明王神道 古書和書古本写本 NR。
まったく色恋事にご熱心な親王ですから、ここにこうした娘がいるとお聞きになると、
そのままにはすまされぬ、それだけのお戯れ》・・・・・なのだろう」
と、ご返事をお勧めになる折々は、中の君が
兵部卿宮(今上天皇の皇子・匂宮)にご返事申される。考古学会編 寺崎広業・小堀鞆音模写『扇面古写経下絵』大正9年刊 四天王寺所蔵「扇面法華経冊子」(平安時代)仏教美術 日本美術。
姫君(大君)のほうは、こうした贈答には冗談にも手をお出しにならぬご用心深さである。柳原公 長三洲 福島柳圃『書画3作貼り』掛軸〔絹本肉筆真作〕/ 志士 南画家 古文書 掛け軸。
八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)は、いつと限らず心細いお暮しぶりで、
春の日長の所在なさには、ひとしお時を過しかねて物思いに虚けていらっしゃる。番附 御免力持。
しだいにご成人なさる姫君(大君・中の君)たちのお姿やお顔だちなどが、
いよいよすぐれて申し分のないお美しさであるにつけても、かえっていじらしい。色紙 大山康晴。
もしもこれが不器量でもいらっしゃるのだったら、もったいなく、こうして埋れさせるに
しのびないといった思いは浅かろうに、などと明け暮れ胸を痛めておいでになる。■顕本法華宗要品 並回向文 総本山妙満寺蔵版 大正(1913)2年4月 初版 版木2枚揃い■南無妙法蓮華経 日什大正師 木版 仏教 経典 佛教美術■。
姉君(大君)は二十五歳、中の君は二十三歳になっていらっしゃるのだった。古文書 書簡 横瀬夜雨 斉藤氏 宛て 長文 珍品 茨城県 下妻市 詩人 歌人 茨城新聞 歴史資料。
八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)は今年、重い厄年にあたって
いらっしゃるのだった。幕府領(松本藩預地)北小河内村古文書●寛永18年(1641) 師鑑抄中 地利巻 自一至十 北条氏長 54丁 城縄張 現在の長野県箕輪町 231119。
なんとはなしに心細いお気持になられて、ご修行を常・・・・・《日ごろにもまして怠りなくお励みになる。『今様』(6冊セット)明治45-大正2年 松屋呉服店刊 泉鏡花 跡見花渓 幸田露伴 鏑木清方 矢沢弦月 中沢弘光ら絵。》

備考・
美しい大君と中の君の二人の姫君の父・八の宮は、桐壺天皇の皇子であり、朱雀天皇の弟で皇太子でもあった。残存唯一?/[澎湖島大観・井原伊三太郎・昭和7(1932)]/陸軍要塞司令部・陸軍要港部/台湾。本来なら次期天皇と目されていたが政変により都を離れ宇治に住む。式場隆三郎著 柳宗悦題簽 外村吉之介布装 芹沢銈介型染和紙カバー『夜の向日葵 テオの手紙』限定200部(和紙特装本)昭和17年 畝傍書房刊。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。平和記念東京博覧会。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。皆遵撰『正信偈絵抄』(全2冊揃)安永2年 菱屋治兵衛他版 江戸時代和本 浄土真宗 仏教書 仏書 絵入本。


《Beneath the Oak (椎本)》
Though with this caveat, he encouraged replies.
It was Nakanokimi who set them down. Oigimi was much too cautious and
deliberate to let herself become involved in the least significant of such exchanges.
The prince, ever deeper in melancholy, found the long, uneventful spring
days harder to get through than other days.
The beauty and grace of his daughters, more striking as the years went by,
had the perverse effect of intensifying the melancholy.
If they were plain little things, he said to himself, then it might not
matter so much to leave them in these mountains.
His mind ran the circle of worries and ran it again, day and night.
Oigimi was now twenty-five, Nakanokimi twenty-three.
It was a dangerous year for him.
He was more assiduous than ever in his devotions.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。茶の湯 裏千家 千宗室 茶道本 茶之湯 利休居士 本勝手 炭手前 風炉 隅炉 點茶 茶室 茶器 茶碗 茶入 水指 茶釜 茶筅 茶巾 點前 棚荘方 点前。


《柯根(椎本)》
八王一直度送孤独的生涯。幕府領(松本藩預地)北小河内村古文書●明暦3年(1657) 箕輪庄 18丁 箕輪地区の歴史 伊那郡北小河内村 現在の長野県箕輪町 231120。春日,
更寂寞无聊,常恨日暮,愁思越来越多。☆E0242明治16年(1883)梅の花の番付「梅花集」1点/駒込清水弥平太ほか/古書古文書/木版摺り。
位女公子年越,姿色越增,
竟成了个色美人。1913年 装束甲冑図解 2冊全 検索⇒武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 範士 兵法 兵書 傳書 戦陣 鎧兜 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。反教八王增加痛苦,
他想:“倒不如得丑些,那埋没在山里也不大可惜,
我的痛苦或可少些。信州 霊場百番札所詠歌道記 駒獄 御嶽山 修験道 御嶽教 神道 神社 長野県諏訪市 検定)三寶大荒神天皇教派神道仏教仏陀真言宗密教天台宗 NP。”他此日夜。明治期 紋様書 雛類弥家多 検索⇒図案 香盒 設計 木版摺 支那 文様 古玉 武器 兵器 軍服 古建築 金彫文 小田切春江 浮世絵 絵本 絵図 壁画。
此大女公子二十五,二女公子二十三。大宰府【宮小路康文】『書』巻物〔紙本肉筆真作〕/明治時代の 書家 天台宗僧侶 僧名:仙賀 書家名:浩潮・古梅 富岡八幡宮の横綱力士碑も揮毫。
命里算来,今年是八王厄最多的一年。古文書 木村武山 書簡 掛軸 堅山南風 宛 茨城県 笠間市 出身 日本画 歴史資料。
他很担心,念佛比往常更勤了。増田鋼撰 大田南畝題字 丹羽桃渓画『鼓銅図録 完』住友氏蔵版 和本 絵入本 彩色木版画譜 銅の採掘精錬過程を紹介 別子銅山・鉱山資料。


中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。平安紋鑑 検索⇒紋帳 文様 家紋 伊呂波 浮世絵 槍旗印 花押 雅印 印譜 武器 武具 兜鎧 設計 皇族 槍印 図案 紋章 徽章 紀章 武鑑 呉服 刺繍。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。雪蕉斎(寺井重房)『画本拾葉』(3冊=初編上下巻+二編上巻)宝暦元年 柏原屋清右衛門刊 江戸時代和本 大坂の浮世絵師の絵手本。


「椎本の巻」原本の末尾(原本番号38-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

左の写真が「源氏物語」椎本の巻の末尾(原本番号38-B)の押印。納札「画題・名物玩具合せ」大正15年 催主・此花会/惣連 彩色木版画44枚 関西地方の郷土玩具を描く。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。tk◆◆ 明治21・22年 数学講義録 代数学之部 創刊号第1号から第13号まで 13冊 / B-21。冬姫は内大臣・通誠の養女。幕臣 槍術家【高橋泥舟】『書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/ 名:政晃 講武所師範役上野寛永寺で徳川慶喜を護衛 山岡鉄舟 勝海舟と共に幕末の三舟。
冬姫は通称。御仕置留 天保9年~天保12年(26件)  浜田市古文書を読む会 浜田市立図書館 浜田藩/島根。正式な名は伊達貞子。【相撲】「櫓太皷音高砂 : 四十八手相撲古実」孤蝶園若菜 編 発行:落合三雄 明治27年 高砂浦五郎 木版挿絵入り S1yn。左端の写真は「椎本の巻」末尾の拡大写真。唐松神社の宮司 物部長元『田祖大神』まくり〔紙本肉筆真作〕/出羽物部氏 秋田県大仙市協和 神功皇后の創建,源義家が再建した神社の宮司。
上の篆書体は、「升天入地求之遍」【天にのぼり地に入りてこれを求めることあまねし】の押印。信濃高遠藩領高遠番匠村古文書●明治25年 池上家家系図 池上茶一 上伊那郡高遠番匠村 現在の長野県伊那市 231119。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。医学 和本 『改正増補 医道日用綱目』 明治6年 東洋医学 中医学 漢方 薬草 鍼灸 経絡 証 絵有り (古文書 唐本。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。★0440和本江戸天保14年(1843)兵法写本「甲陽城制曲尺伝」全1冊/古書古文書/手書き。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。【レア 大特価 格安】『増補 日本書画骨董大辞典』聚芳閣 池田常太郎 大正15年 国宝図版 明治天皇 日本刀 刀剣 宗近 粟田口 など解説。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。完品『清水寺史 通史』(2冊セット=第1巻+第2巻)1995-1997年 音羽山清水寺刊。筆者は近衛関白政家公。【古文書時代鑑/復刻新装版 上下巻(解説本付)】東京大学出版会。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。古書 「水戸和歌見聞集」 義公 威公 水戸藩士 家族 歌集 高橋多一郎 金子孫次郎 斎藤監物 安島帯刀 藤田小四郎 (レターパックライト発送)。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。■『サンカの社會資料編』三角寛著。昭和46年初版凾。■『サンカの真実三角寛の虚構』筒井功著。平成18年初版カバー帯。2冊一括購入希望。。左の写真は、桐壺の巻の奥付。★0451明治29年(1896)明治三陸地震津波「三陸東海岸大海嘯被害図」1点/東京朝日新聞附録。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。■弘化四年(1847) 東寺【御影堂 牛王宝印(御舟牛王)】■京都 真言宗 教王護国寺 牛玉宝印 護符 御符 木版 弘法大師 空海 真言密教 御朱印■。上下2段の花押のうち、上の印は。『蓮如上人御物語』(全2巻2冊揃)明治17年 空華堂刊 江戸時代和本(明治刷)浄土真宗 仏教書 仏書 絵入本。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(椎本の巻)MRI 46―6B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。画譜 江戸期 等碩筆 検索⇒ 肉筆仙人 水墨画 支那 拓片 呂洞賓 拓本 唐本漢籍 古筆 唐画 瓦版 木版摺 武鑑 紋様 南画 古墨竹譜 印譜 鄭全福。


「源氏物語」「椎本の巻」主人公・椎本の資料

下記写真は、「源氏物語絵巻」の中に描かれる大君・中の君の姫君と匂宮と薫の君。★0406和本江戸文政7年(1824)経済米相場「安見米穀算用記」全1冊/如牛蔵板/古書古文書/木版摺り。


「源氏物語絵巻 」椎本(大分美術館所蔵)舟に乗り、楽器を弾きながら

八の宮邸に向かう匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君。北静盧著 石橋真国校 朝川善庵・岸本由豆流序 西島蘭渓跋『梅園日記』(全5冊揃)弘化2年刊 黒田清綱旧蔵書 江戸時代和。邸の中は大君と中の君




「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」


1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。古文書 求寂戒牒 除睡咒 兵法九字十字大事 5枚セット 安政3年 仏教密教真言宗空海 検)天台宗仏陀浄土真宗浄土宗写本西院流印信案密印NP。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行



大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。東華房編(各務支考)『越の名残 巻下』柏屋勘右衛門刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 連歌。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。天台宗集解新抄 真迢誌 計6冊まとめてセット 状態難有 仏教 希少 資料。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。有賀長伯『和歌分類』(全7巻7冊揃)享和3年 須原屋平左衛門他刊 江戸時代和本 歌学書 和歌文学。

漢詩文原文上部に《「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。手漉和紙 毎日新聞発行 3000部限定 1021V5G。この漢詩は「白楽天」に由来するものです。河辺正夫編『日本装飾大鑑』(全5冊揃)大正4年芸艸堂刊 彩色木版画譜 飛鳥時代以降の古美術品図案集 建築装飾 染織品 仏教美術 仏像ほか。
源氏物語「椎本」原本に記されております。中林杳 自筆稿本『英名百首 附古歌今様』俳書歌書蒐集家による名家撰歌集 和歌集 短歌集 渋沢栄一、岸田吟香、柴田是真ら。紫式部が「椎本」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「椎本の巻」を書いていることがわかります。平住専安『前々太平記』(全20冊揃)正徳5年 毛利田庄太郎刊 江戸時代和本 読本 奈良時代-平安時代の日本史書 歴史軍記物 軍記物語。この原詩の言葉の引用は、「椎本の巻」に用いられていることで広く知られている。東山如月(如月寿印)註『中華若木詩抄』(全3巻3冊揃)延宝7年刊 江戸時代和本 漢詩集 和漢の七言絶句抄物。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。1880年 画譜 墨戯 墨石譜 墨草譜 墨蘭譜 木版画 九如堂 陳旭 範永祺 検索⇒清朝 線装本 古籍善本 武英殿本 木刻宋版 彫版 支那 花箋 鄭板橋。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。川畑契水『皷胴集 上巻』大正11年芸艸堂刊 彩色木版画譜 雅楽器・神事用小鼓など全25図 鼓胴集 太鼓 神道資料。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。古文書 書簡 辻永 つじひさし 中山森彦 宛て 水戸市 白馬会 帝展 日展 文化功労者 洋画家 植物画 封筒付き(レターパックライト発送)。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。京屋飛脚資料。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。花鳥図式 全 高尚堂画譜。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。古文書 浮浪の従積悪見聞党 常陸水戸 天狗党 郷校 潮来 尊王攘夷。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。餘馨・華道家元池坊献納飛行機命名式並記念華会写真帖/非売品/昭和17年/九七式戦闘機・八八式七糎野戦射砲を献納・陸相東條英機感謝状。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。中澤蓮塘編 服部愛軒後跋『多識書屋印賞』(全3冊揃)大正5年序 多識書屋(中澤廣勝)落款篆刻印譜集(原鈐印譜集) 和本 林鶴梁 中沢蓮塘。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。(中国・明代)袁了凡・雲棲大師原著 安田棟隆序『増補絵抄和字功過自知録』文化11年白蓮社 江戸時代和本 中国仏教書 仏書 道教 絵入本。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。写本『善工利器初編 松井羅洲自筆草稿』文化2年序 森銑三書題簽帙付(反町弘文荘取扱品)江戸時代和本 儒学者 易学者。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。『日本釜師之系譜』昭和20年 堀政弘刊(新潟県地蔵堂町/堀山城家十一代目)茶の湯釜師系譜一覧書 茶道具。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。石原憲治著 芹沢銈介装丁『日本農民建築』(全16冊揃)昭和9-18年 聚楽社刊 江戸時代の農家・住宅建築写真集 図版約2400点 日本建築 日本家屋。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。市川義方『水理真宝』(全2冊揃)明治30年 博文館刊 明治時代和本 治水・水害対策の築堤建造物などを銅版画挿絵入で紹介。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。桑山俵四郎『日光東照宮旧祭典略図』明治22年 鬼平金四郎刊(栃木県日光)神輿渡御祭「百物揃千人武者行列」彩色木版画譜 明治時代和本。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。古文書 愛染王三十七尊 秘々之印 江戸時代 仏教 密教 真言宗 空海 検)天台宗仏陀浄土真宗浄土宗親鸞法然古写経写本西院流印信案密印 NP。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。小幡篤次郎・小幡甚三郎『英文熟語集 全』慶應4年 尚古堂発兌 江戸時代和本 元版(初版本)幕末期の英語参考書。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。染織 呉服 振袖 染織 図録 紋様 印染 着物 友禅 型絵染 江紋 板中形 版染 絞り染 紬織 錦織 紋織 図鑑 縮緬 綴れ 通 組紐 刺繍 佐賀錦 和服。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。成田蒼キュウ著 桜井梅室編『対塔庵蒼キュウ句集』(全2冊揃)天保10年刊 江戸時代和本 俳句集 俳諧 俳書。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。廓之花。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。出雲大社之図。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。幕府領(会津藩預所)佐倉村古文書●延享4年 殿様御順村諸達物扣帳 20丁 4代松平容貞 大沼郡佐倉村 現在の福島県昭和村 231112。撮影後、展示のために再表装をしております。内田周平著 佐伯仲蔵評点 松平康国序 川田瑞穂跋『三方原戦記』昭和16年 正誼塾刊 三方ヶ原の戦い 武田信玄 徳川家康 織田信長 漢文集。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【貴重 京都の古写真】『明治の京都』田中緑紅(編) 京を語る会 写真50枚+解説冊子 祇園祭 高瀬川 京都駅 金閣寺 清水寺 四条大橋。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。古文書 博采館 関係 5点 一括 茨城 笠間 歴史資料 郷土資料。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。写本 嗣講開悟院演説三席 嘉永元年 霊 真宗大谷派 仏教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教 古書和書古文書 NR。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。★0457明治29年(1896)鳥瞰図「近衛歩兵第一旅団兵営之図」1点/全勝堂橋都儀助/銅版摺り。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。古書 古文書(版本)原南陽 「□狗傷考」 けいくしょうこう 水戸藩 侍医 医学書 狂犬病 江戸時代 歴史資料(レターパックライト発送)。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。田宮仲宣(田宮橘庵)『橘庵漫筆』文政9年 塩屋卯兵衛他刊 江戸時代和本 絵入本 大田南畝・曲亭馬琴と親交をむすんだ戯作者の随筆集。額縁は新品です。古文書 「坂下門事変関係書き上げ」 覚書 長文 坂下門外ノ変 水戸藩 安藤信正 歴史資料 幕末 (レターパックライト発送)。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。★H537和本江戸文政6年(1823)写本「青社遺範」全1冊/水戸藩士谷忠明の蔵書を写/彰考館のみ/水戸藩関連/古書古文書/手書き。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。☆3082和本明治42~43年忍行田古記録「東照宮祭典用書類」15点程度/埼玉県/古書古文書/手書き。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。大蔵永常著 蹄斎北馬(葛飾北馬)画『田家茶話』(全5冊揃)文政12年 丁子屋平兵衛刊 江戸時代和本 葛飾北斎門人 浮世絵師絵入本 奇説著聞集。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。島津久光公実記・8冊/非売品/明治43年/寺田屋騒動で薩摩藩尊攘派を制圧・幕政改革に参与するなど'64年まで公武合体派の中心として活動した。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。太田岫雲(太田有終)『後身詩録』(全2冊揃)大正元年 太田けい刊(静岡県磐田郡)漢詩集 和本(和装活字本)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。佐藤忠良 リトグラフ年賀状一通(真作保証品)森谷均宛 昭和33年戌年 山城隆一レイアウト。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。伊勢貞丈『貞丈雑記』(4巻5冊セット=巻1~4)天保15年 岡田鼎蔵版 江戸時代和本 有職故実書。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。梅舒適弟子 川合東皐 聴雨山館印存 限定200部 検索: 印譜 書道 印影 封泥 篆刻 金石鼓文 羅振玉 花押 支那 呉昌碩 朱印 雅印 遊印 古璽印。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。『蒲生軍記』(全6巻揃)元禄8年深江屋太郎兵衛刊 江戸時代和本 戦国時代軍記 戦国武将 蒲生氏郷・織田信長・豊臣秀吉(朝鮮出兵)など。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。蘭学の泰斗!/[藤林普山・蘭学逕・27丁完揃]/藤林淳道。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。完品 北原白秋 直筆サイン入『雀百首』限定100部 昭和12年 草木屋出版部刊 木活字本(畦地梅太郎刻)手漉和紙本。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。身延山十一世行學院日朝眞蹟 横須賀藩家臣物集女家舊藏 文明一六年六月六日。母は後水尾天皇皇女女二宮。1937年 中央公論 支那問題特輯 中華民国 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 租借地 北京 抗日。実母は近衛家女房(瑤林院)。内臓一覽圖 著者兼發行者/山口縣士族/今田束 明治22年3月11日印刷。幼名は多治丸。細川幽斎著 中院通勝補訂 菱川師宣画『百人一首像讃抄』江戸時代和本。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。■東寺【教王護国寺・夜叉神・御影堂】牛王宝印 3種揃■牛玉宝印 木版 弘法大師 空海 護符 御朱印 真言密教 御朱印 起請文料紙 京都■3。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。校正救荒本草。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。『溪松名器録 一』明治時代和本 古美術商「谷松屋」茶道具図譜 茶の湯 千利休 古田織部 松平不味公 益田鈍翁。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。完品 日夏耿之介『詩集 咒文』限定330部 昭和40年 冬至書房刊。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。養蚕新書。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。不盡谷口傳(富士谷成章)吉川彦冨・山口高端筆受『かざし抄』(上中下巻 合本全一冊)明和4年序刊 江戸時代和本 国文学 挿頭抄。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。佐々木松後述『俳諧いまは昔』天明2年序 橘屋治兵衛 江戸時代和本 田中五竹坊伝 出雲俳人中島魚坊序文 俳諧書 俳書 俳句 連歌 俳諧今者昔。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。『増広四書題鏡味根録』(全8冊揃)中国上海刊 唐本 漢籍。


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