《Channel Buoys (澪標)》 《Am I to forget the god of Sumiyoshi?》… "Yes, it has without question been through his intervention." There was solemn gratitude in the words. Genji was greatly upset when Koremitsu told him that a boat had come from Akashi and been turned away by the crowds on the beach. Again the god of Sumiyoshi seemed to be at work. The lady would surely regret having chosen this day. He must at least get off a note. Leaving Sumiyoshi, he made excursions to other famous places in the region and had grand and solemn lustrations performed on the seven strands of Naniwa. "The waves of Naniwa," he said to himself (though with no real thought, one may imagine, of throwing himself in ) …《as he looked out over the buoys that marked the Horie channel.》
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。加賀藩士 榊原拙處(榊原拙処)『書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/名:守典 字:子常 号:拙処 南画家・書家の文人武士 石川県 漢詩 南宋画得意。
原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。金沢鋓吉編『正義高潔改進党話 全』明治16年 三春堂刊立憲改進党 大隈重信 明治時代政治史料 自由民権運動 政党論。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。中金正衡『大倭語学手引草 前編』(全2冊揃)明治4年 自笑軒蔵版 元袋付(浮世絵師・歌川国員)明治時代和本 日本語文法書・国語学書 国学。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。士気振興 最新日本陸軍軍歌集 昭和10年 旧日本軍 軍事 ミリタリー 戦前明治大正古書和書古本 NP。現在の今上天皇と系譜がつながっている。エフェメラ 北園克衛「中村書店 栞」1960年代頃。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。十返舎一九作 歌川国安画『三国志画伝』(17冊)嘉永3年 大黒屋平吉板 中国稗史 江戸時代和本 合巻 浮世絵 絵草紙 草双紙 三國志画傳。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。長良川鵜飼之図。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。中山御祈祷図 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前明治大正古書和書古文書古本 NS。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。長崎聞見録(長崎見聞録)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。羽州秋田木曽石村『正一位木曽吉山大観現辰命院』掛軸〔紙本版摺〕木曽吉山大明神 出羽秋田郡太平木曽石村 別當辰命院 愛染明王 大日如来..。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。★0415和本江戸文久3年(1863)軍隊規則写本「隊伍組立其外規則書」1冊/古書古文書/手書き。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。アラン・シャンド原著 海老原済・梅浦精一譯『銀行簿記精法』(4巻4冊)明治6年 大蔵省刊 明治時代和本 銀行会計学。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。香川景樹『百首異見』(全5冊揃)天保6年 河南儀兵衛等他刊 江戸時代和本 藤原定家撰「小倉百人一首」注釈書 契沖/賀茂真淵らへの反論。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。軍人読本・3冊/高橋静虎編集・寺内正毅校閲/明治35年/和装本/陸海軍・軍隊・軍艦・水雷駆逐艇・水雷艇・潜行水雷艇・軍旗・軍人の亀鑑。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。日本鍼灸学教科書 経穴 病理古書 古本。また、各巻ごとの書かれた年については不明。水谷不倒(水谷弓彦)編『浮世草子西鶴本』大正9年 水谷文庫刊 井原西鶴絵入本を木版摺で紹介。従って、応永五年とは、書き始めの年である。児童用品研究会『日本玩具集』(2冊)大正6年山田直三郎/芸艸堂刊 彩色木版画譜 郷土玩具・郷土人形集 武田真一 巌谷小波。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。図案家協会編『蒐集手拭』昭和2年芸艸堂刊 小西一四三蒐集手ぬぐい作品集 手拭い 染織工芸品。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。神変大菩薩報恩勤行式 大正5年 経本 御経 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教天台宗 戦前明治大正古書和書古文書古本 NS。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。宮武外骨 此中にあり 雑誌集成 第1期 全13巻セット スコブル/頓智協会雑誌/滑稽新聞 ゆまに書房 1993年〜1994年発行 全巻帯付き。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。★0441和本江戸天保2年(1831)兵法写本「山鹿流極秘伝八規大事/八陣書」2冊/山鹿素水(高輔)の署名と印章がある/古書古文書。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。和本 「和刻本 諸子大成 全12冊」 長澤規矩也 漢籍 影印。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。レZ844サ★聖徳太子伝暦補註 全10巻揃 享保7年 五天良空刊行蔵版 江戸期/和本/古書。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。引札 えびすと鶴。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。零本 安井湖東画「彩色木版画譜」(書名不詳)明治30年 松野米治郎刊 彩色木版画譜 浮世絵 錦絵 日本史 歴史画 明治時代和本。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。岡山鳥編 長谷川雪旦画『江戸名所花暦』(全4巻3冊揃)天保8年 須原屋茂兵衛他刊 江戸時代和本。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。藤野勝弥著 中谷政一編『木村重成関係資料の調査 附元徳元年銘兼光短刀の調査』昭和16年中央文化研究会刊 刀工・備前長船兼光 日本刀剣 戦。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。古文書 「田舎土産むらさきぞうし」 水戸天狗党 筑波山挙兵 幕府追討軍 歴史資料 和書 (レターパックライト発送)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。仙傳抄 上下巻セット 日本華道社 仙伝抄 田中重太郎 岡田幸三 昭和56年発行 日本華道社 池坊 華道 生け花 古書。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。京城勝覧 貝原篤信 天明再木 江戸 木版 和本 古地図 寶永3年序 貝原益軒の絵入り京都名所案内 1780年代 89画 内裏 清水寺。
出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。皇太子殿下岡山県行啓誌/岡山県/昭和2年/昭和天皇/縣下各地を御巡啓あらせられて具さに教育産業・自治其の他 各般の情況を観察せしめ給ひた。第14帖。写本 加州敵討 古今忠義鏡 江戸時代 武術活劇 武士 武道 加賀国 石川県 検) 戦前明治大正古書和書古本古文書 NS。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。浄土論隋釈 月珠 嘉永7年 仏教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教 古書和書古本古文書 真宗大谷派 NR。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。林米子『新撰裁縫独稽古 附普通女礼式及日用惣菜料理法 全』明治27年 松村孫吉刊 明治時代和本 明治中期の女学生向け裁縫・日本料理教材。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。山内金三郎編『再刊これくしょん』(33冊) 昭和22-29年 梅田書房刊 芹沢銈介蔵書票 富本憲吉木版画・印譜他 郷土玩具 蔵書票 こけし。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。鶴田吾郎・川端龍子 画文集2冊セット『大和めぐり』『きそ路』大正4-5年 スケッチ倶楽部刊 元版初版本 石版画譜 彩色木版画2枚入。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。☆3138和本江戸嘉永4年(1851)国学「言葉の道行ぶり」全1冊/小板橋好里/古書古文書/木版摺り。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。古文書 書簡 酒井三良 原孝恒 宛て 封筒付き 歴史資料 日本画 福島県 会津 三島 (レターパックライト発送)。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。竹久夢二 図録 検索⇒ 美人画 大正ロマン 大正の浮世絵師 屏風 洋画家 掛軸 三味線 宵待草 出帆 女性像 挿絵 絵本 絵図版 図録 撫子 黒船屋。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。激レア!! 貴重 128年前の彩色木版摺 入手困難 『美術宝庫 第五号』画博堂 明治28年(1895年) 是真 道風 師宣 豊信 北齋 広げて額装も可。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。引札 エビス大黒とお宝。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。小倉市街地図。
「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。天保八春再販 武蔵國長幡王所宮神主 笠原豊前守藤原英證謹撰 『改正大日本國神代系圖附社 』マクリ〔紙本版摺〕/江戸時代 古文書 神道 木版。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。森本幾蔵『民主燈』明治29年刊(鳥取県岩井郡服部)明治時代政治論 政体論 自由民権運動 石版画入。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。引札 金のなる木と鶴亀。原文の意味は、明石から帰京した源氏の君は政界に復帰したのち、東宮が冷泉天皇に即位する。★0411和本慶応元年(1865)天狗党の乱写本「風説水流止」1冊/南総糸川村/能城昌博写/古書古文書/手書き。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。引札 紙巻たばこと葉巻。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。『玩具に就いて ランバス女学院保育部三年生』戦前刊 聖和女子学院資料。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。古文書「御初代之記草稿」 (全10巻) 5冊 徳川義直 源敬公 尾張藩主 一代記 タトウ箱 歴史資料 偉人伝 愛知県。紫式部が「澪標」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。1883年 紋様書 明治16年 奈留美か多 検索⇒図案 香盒 設計 木版摺 支那 文様 古玉 武器 兵器 軍服 古建築 彫文 小田切春江 浮世絵 絵本龍紋。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。山下関一/林栄吉編 長谷川小信画『歌舞伎隈取百面種』(全5集揃/彩色木版画50枚入)大正14年浮世絵版画刊行会(京都市西洞院五條)。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
「澪標」の巻は英文で「Channel Buoys」と表記されます。范成大著 阿部櫟斎校『梅譜菊譜』文政13年序 巴菽園刊 江戸時代和本 丹波修治旧蔵書(三重県の本草学者)唐本漢籍和刻本 植物学 花譜。
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【貴重な本面多数掲載】『能面大鑑』(序、上、中巻 3冊)大正14(1915年) 各巻に、面打ち“北澤耕雲”の蔵書印有 +『能楽古面大観解説』。)
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。古文書 略地鎮 仏教 密教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然 不動明王神道 古書和書古本写本 NR。
自筆上部の「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。考古学会編 寺崎広業・小堀鞆音模写『扇面古写経下絵』大正9年刊 四天王寺所蔵「扇面法華経冊子」(平安時代)仏教美術 日本美術。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。柳原公 長三洲 福島柳圃『書画3作貼り』掛軸〔絹本肉筆真作〕/ 志士 南画家 古文書 掛け軸。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。番附 御免力持。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。色紙 大山康晴。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。■顕本法華宗要品 並回向文 総本山妙満寺蔵版 大正(1913)2年4月 初版 版木2枚揃い■南無妙法蓮華経 日什大正師 木版 仏教 経典 佛教美術■。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。古文書 書簡 横瀬夜雨 斉藤氏 宛て 長文 珍品 茨城県 下妻市 詩人 歌人 茨城新聞 歴史資料。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。幕府領(松本藩預地)北小河内村古文書●寛永18年(1641) 師鑑抄中 地利巻 自一至十 北条氏長 54丁 城縄張 現在の長野県箕輪町 231119。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。『今様』(6冊セット)明治45-大正2年 松屋呉服店刊 泉鏡花 跡見花渓 幸田露伴 鏑木清方 矢沢弦月 中沢弘光ら絵。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。残存唯一?/[澎湖島大観・井原伊三太郎・昭和7(1932)]/陸軍要塞司令部・陸軍要港部/台湾。》
《神をはかけて》・・・・わす(忘)れやはするしるしありな」
とのたま(宣)ふも、いとめてたし。式場隆三郎著 柳宗悦題簽 外村吉之介布装 芹沢銈介型染和紙カバー『夜の向日葵 テオの手紙』限定200部(和紙特装本)昭和17年 畝傍書房刊。
かのあかし(明石)の舟、このひゝき(響)におされて、す(過)きぬる
こと(事)もきこ(聞)ゆれは、「し(知)らさりけるよ」と、
あはれにおほ(思)す。平和記念東京博覧会。かみ(神)の御しるへをおほ(思)しい(出)つるも
おろかならねは、「いさゝかなるせうそこ(消息)をたにして、
心なくさめはや。皆遵撰『正信偈絵抄』(全2冊揃)安永2年 菱屋治兵衛他版 江戸時代和本 浄土真宗 仏教書 仏書 絵入本。中々に思ふらんかし」とおほ(思)す。茶の湯 裏千家 千宗室 茶道本 茶之湯 利休居士 本勝手 炭手前 風炉 隅炉 點茶 茶室 茶器 茶碗 茶入 水指 茶釜 茶筅 茶巾 點前 棚荘方 点前。
み(御)やしろ(社)たち給て、所々にせうえう(逍遙)をつくし給ふ。幕府領(松本藩預地)北小河内村古文書●明暦3年(1657) 箕輪庄 18丁 箕輪地区の歴史 伊那郡北小河内村 現在の長野県箕輪町 231120。
なにはの御はらへなと、こと(殊)によそをしうつか(仕)まつる。☆E0242明治16年(1883)梅の花の番付「梅花集」1点/駒込清水弥平太ほか/古書古文書/木版摺り。
ほりえ(堀江)のわたりを御らん(覧)して、「いま(今)はたおな(同)し
なには(難波)なる」と、御心にもあらてうちす(誦)し給へるを、
御くるま(車)のもとち・・・・・《かきこれみつ》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。1913年 装束甲冑図解 2冊全 検索⇒武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 範士 兵法 兵書 傳書 戦陣 鎧兜 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》
《藤壺の中宮・出家の身であるため冷泉天皇の母であることから皇太后に準じる待遇を受ける》
《源氏の君と明石の君、それぞれに大願成就を感謝し住吉神社に参詣する》
《(惟光・これみつ)「住吉の松を見るにつけても、まず胸にこみあげてくるものがございます。明治期 紋様書 雛類弥家多 検索⇒図案 香盒 設計 木版摺 支那 文様 古玉 武器 兵器 軍服 古建築 金彫文 小田切春江 浮世絵 絵本 絵図 壁画。
住吉の神の昔、流離の昔のことが思い出されまして。大宰府【宮小路康文】『書』巻物〔紙本肉筆真作〕/明治時代の 書家 天台宗僧侶 僧名:仙賀 書家名:浩潮・古梅 富岡八幡宮の横綱力士碑も揮毫。」
君(源氏の君)は、いかにもとお思い出しになって、
(源氏の君)「おろしかった須磨の波風、あのころの苦境を思うにつけても、
住吉の神のことは》・・・・・けっして忘れられまい。古文書 木村武山 書簡 掛軸 堅山南風 宛 茨城県 笠間市 出身 日本画 歴史資料。あらたかなご霊験だった」
と仰せられるお姿も、まことにおみごとである。増田鋼撰 大田南畝題字 丹羽桃渓画『鼓銅図録 完』住友氏蔵版 和本 絵入本 彩色木版画譜 銅の採掘精錬過程を紹介 別子銅山・鉱山資料。
あの明石の君を乗せた船が、このにぎやかさに気圧(けお)されて、参詣(さんけい)もせず
立ち去ったことをも惟光(これみつ)が申しあげると、君(源氏の君)は、
(源氏の君)「まったく知らぬことだったな」
と君(源氏の君)はしみじみ不憫(ふびん)なお気持になられる。平安紋鑑 検索⇒紋帳 文様 家紋 伊呂波 浮世絵 槍旗印 花押 雅印 印譜 武器 武具 兜鎧 設計 皇族 槍印 図案 紋章 徽章 紀章 武鑑 呉服 刺繍。
これも神のお導きとお考えになるにつけても、おろそかとも思われないので、
(源氏の君)「せめて一言の便りだけでも遣わして女君(明石の君)を慰めてやりたい。雪蕉斎(寺井重房)『画本拾葉』(3冊=初編上下巻+二編上巻)宝暦元年 柏原屋清右衛門刊 江戸時代和本 大坂の浮世絵師の絵手本。
来合せてかえって心を痛めているにちがいない」
とお思いになる。納札「画題・名物玩具合せ」大正15年 催主・此花会/惣連 彩色木版画44枚 関西地方の郷土玩具を描く。
御社(みやしろ)をご出立になって、あちこちで遊覧を重ねていらっしゃる。tk◆◆ 明治21・22年 数学講義録 代数学之部 創刊号第1号から第13号まで 13冊 / B-21。
難波(なにわ)の御祓(はらえ)などは、ことに儀式正しくお勤めする。幕臣 槍術家【高橋泥舟】『書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/ 名:政晃 講武所師範役上野寛永寺で徳川慶喜を護衛 山岡鉄舟 勝海舟と共に幕末の三舟。
堀江のあたりをごらんになって、
(源氏の君)「今はた同じ難波なる」
と何気なくお口ずさみになるのを、お車のち・・・・《かくに控えている惟光は、
それを聞きつけ申したのだろうか、このようなご用命もあろうかと、
いつもの習慣で懐中に用意してあった柄(え)の
短い筆などを、お車をとめた所でさしあげた。御仕置留 天保9年~天保12年(26件) 浜田市古文書を読む会 浜田市立図書館 浜田藩/島根。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【相撲】「櫓太皷音高砂 : 四十八手相撲古実」孤蝶園若菜 編 発行:落合三雄 明治27年 高砂浦五郎 木版挿絵入り S1yn。
《Channel Buoys (澪標)》
《Am I to forget the god of Sumiyoshi?》…
"Yes, it has without question been through his intervention."
There was solemn gratitude in the words.
Genji was greatly upset when Koremitsu told him that
a boat had come from Akashi and been turned away
by the crowds on the beach.
Again the god of Sumiyoshi seemed to be at work.
The lady would surely regret having chosen this day.
He must at least get off a note.
Leaving Sumiyoshi, he made excursions to other famous places
in the region and had grand and solemn lustrations
performed on the seven strands of Naniwa.
"The waves of Naniwa," he said to himself (though with
no real thought, one may imagine, of throwing himself in )
…《as he looked out over the buoys that marked
the Horie channel.》
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《航(澪標)》
感神恩永不忘。医学 和本 『改正増補 医道日用綱目』 明治6年 東洋医学 中医学 漢方 薬草 鍼灸 経絡 証 絵有り (古文書 唐本。果然!”喜形于色。★0440和本江戸天保14年(1843)兵法写本「甲陽城制曲尺伝」全1冊/古書古文書/手書き。
惟光便把明石的船被里的盛况所退之事告了公子。【レア 大特価 格安】『増補 日本書画骨董大辞典』聚芳閣 池田常太郎 大正15年 国宝図版 明治天皇 日本刀 刀剣 宗近 粟田口 など解説。
公子吃道:“我全然不知呀!”十分可怜。完品『清水寺史 通史』(2冊セット=第1巻+第2巻)1995-1997年 音羽山清水寺刊。
他回想神明引他到明石浦之事,便明石常可。【古文書時代鑑/復刻新装版 上下巻(解説本付)】東京大学出版会。
料想此必然悲,一信,以慰其心。古書 「水戸和歌見聞集」 義公 威公 水戸藩士 家族 歌集 高橋多一郎 金子孫次郎 斎藤監物 安島帯刀 藤田小四郎 (レターパックライト発送)。
源氏公子告辞住吉神社后,到逍遥游。■『サンカの社會資料編』三角寛著。昭和46年初版凾。■『サンカの真実三角寛の虚構』筒井功著。平成18年初版カバー帯。2冊一括購入希望。。
他在波浦行祓禊,在七行的特庄隆重。★0451明治29年(1896)明治三陸地震津波「三陸東海岸大海嘯被害図」1点/東京朝日新聞附録。
他眺望波的堀江一,不知不地吟古歌:
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」澪標の巻の末尾(原本番号36-A)の押印。■弘化四年(1847) 東寺【御影堂 牛王宝印(御舟牛王)】■京都 真言宗 教王護国寺 牛玉宝印 護符 御符 木版 弘法大師 空海 真言密教 御朱印■。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。『蓮如上人御物語』(全2巻2冊揃)明治17年 空華堂刊 江戸時代和本(明治刷)浄土真宗 仏教書 仏書 絵入本。冬姫は内大臣・通誠の養女。画譜 江戸期 等碩筆 検索⇒ 肉筆仙人 水墨画 支那 拓片 呂洞賓 拓本 唐本漢籍 古筆 唐画 瓦版 木版摺 武鑑 紋様 南画 古墨竹譜 印譜 鄭全福。
冬姫は通称。★0406和本江戸文政7年(1824)経済米相場「安見米穀算用記」全1冊/如牛蔵板/古書古文書/木版摺り。正式な名は伊達貞子。北静盧著 石橋真国校 朝川善庵・岸本由豆流序 西島蘭渓跋『梅園日記』(全5冊揃)弘化2年刊 黒田清綱旧蔵書 江戸時代和。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。古文書 求寂戒牒 除睡咒 兵法九字十字大事 5枚セット 安政3年 仏教密教真言宗空海 検)天台宗仏陀浄土真宗浄土宗写本西院流印信案密印NP。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。東華房編(各務支考)『越の名残 巻下』柏屋勘右衛門刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 連歌。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。天台宗集解新抄 真迢誌 計6冊まとめてセット 状態難有 仏教 希少 資料。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。有賀長伯『和歌分類』(全7巻7冊揃)享和3年 須原屋平左衛門他刊 江戸時代和本 歌学書 和歌文学。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―22B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。京屋飛脚資料。娘の明石の姫君が将来の帝の后となるべく願いの願ほどきに参詣する
上記絵巻は、源氏の君の住吉参詣。花鳥図式 全 高尚堂画譜。襖絵は俵屋宗達
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。古文書 浮浪の従積悪見聞党 常陸水戸 天狗党 郷校 潮来 尊王攘夷。
「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。古文書 博采館 関係 5点 一括 茨城 笠間 歴史資料 郷土資料。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。写本 嗣講開悟院演説三席 嘉永元年 霊 真宗大谷派 仏教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教 古書和書古文書 NR。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。★0457明治29年(1896)鳥瞰図「近衛歩兵第一旅団兵営之図」1点/全勝堂橋都儀助/銅版摺り。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。古書 古文書(版本)原南陽 「□狗傷考」 けいくしょうこう 水戸藩 侍医 医学書 狂犬病 江戸時代 歴史資料(レターパックライト発送)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。田宮仲宣(田宮橘庵)『橘庵漫筆』文政9年 塩屋卯兵衛他刊 江戸時代和本 絵入本 大田南畝・曲亭馬琴と親交をむすんだ戯作者の随筆集。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。古文書 「坂下門事変関係書き上げ」 覚書 長文 坂下門外ノ変 水戸藩 安藤信正 歴史資料 幕末 (レターパックライト発送)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。大蔵永常著 蹄斎北馬(葛飾北馬)画『田家茶話』(全5冊揃)文政12年 丁子屋平兵衛刊 江戸時代和本 葛飾北斎門人 浮世絵師絵入本 奇説著聞集。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。島津久光公実記・8冊/非売品/明治43年/寺田屋騒動で薩摩藩尊攘派を制圧・幕政改革に参与するなど'64年まで公武合体派の中心として活動した。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。太田岫雲(太田有終)『後身詩録』(全2冊揃)大正元年 太田けい刊(静岡県磐田郡)漢詩集 和本(和装活字本)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。佐藤忠良 リトグラフ年賀状一通(真作保証品)森谷均宛 昭和33年戌年 山城隆一レイアウト。撮影後、展示のために再表装をしております。伊勢貞丈『貞丈雑記』(4巻5冊セット=巻1~4)天保15年 岡田鼎蔵版 江戸時代和本 有職故実書。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。梅舒適弟子 川合東皐 聴雨山館印存 限定200部 検索: 印譜 書道 印影 封泥 篆刻 金石鼓文 羅振玉 花押 支那 呉昌碩 朱印 雅印 遊印 古璽印。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。細川幽斎著 中院通勝補訂 菱川師宣画『百人一首像讃抄』江戸時代和本。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。■東寺【教王護国寺・夜叉神・御影堂】牛王宝印 3種揃■牛玉宝印 木版 弘法大師 空海 護符 御朱印 真言密教 御朱印 起請文料紙 京都■3。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。校正救荒本草。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。『溪松名器録 一』明治時代和本 古美術商「谷松屋」茶道具図譜 茶の湯 千利休 古田織部 松平不味公 益田鈍翁。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。完品 日夏耿之介『詩集 咒文』限定330部 昭和40年 冬至書房刊。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。養蚕新書。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。不盡谷口傳(富士谷成章)吉川彦冨・山口高端筆受『かざし抄』(上中下巻 合本全一冊)明和4年序刊 江戸時代和本 国文学 挿頭抄。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。佐々木松後述『俳諧いまは昔』天明2年序 橘屋治兵衛 江戸時代和本 田中五竹坊伝 出雲俳人中島魚坊序文 俳諧書 俳書 俳句 連歌 俳諧今者昔。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。『増広四書題鏡味根録』(全8冊揃)中国上海刊 唐本 漢籍。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。完品 加藤健著 藤田嗣治装幀装画『詩抄』限定250部 昭和12年 竹村書房刊 直筆献呈サイン入(河井醉茗宛)元パラ付。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。1939年 古今刀剣のしるべ 2冊揃 検索:武器 兵器 日本刀 剣道 武道 武具 馬具 装身具 弓箭 弓道 武士道 甲冑 殺陣 戦陣 刀鍔 範士 兵法 傅書。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。建部凉袋(建部綾足)『芭蕉翁頭陀物語 全』寛延4年序 井筒屋庄兵衛刊 江戸時代和本 松尾芭蕉 俳諧 俳句 俳書。母は後水尾天皇皇女女二宮。本居宣長『直毘霊 全』永楽屋東四郎刊 江戸時代和本。実母は近衛家女房(瑤林院)。浜野章吉(浜野箕山)『猶賢左書説 米寿記念刊刻』明治45年序刊 漢文集 備後福山藩士 坂井虎山・斎藤拙堂に学んだ漢学者 広島県郷土史料。幼名は多治丸。☆E0233和本江戸寛政2年(1790)「小笠原流武家故実礼法写本」1冊/絵入古書古文書/手書き/書院飾/祝言ほか/小笠原躾方絵図。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。日蓮口述 日興編 日正増補『増補御義口伝鈔』(全2冊揃)明治17年 龍華山妙覚寺蔵版/村上勘兵衛刊 明治時代和本 日蓮宗 仏教書 仏書。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。■ 弘化三年(1846) 東寺【御影堂】牛王宝印■江戸期■教王護国寺 牛玉宝印 厄難除け 護符 御符 木版 弘法大師 空海 真言密教 御朱印 京都■。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。並木宗輔・並木丈輔作『苅萱桑門筑紫家苞』(享保20年加嶋清助板) 江戸時代和本 人形浄瑠璃正本(丸本)七行本 座本豊竹越前少掾。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。堤朝風『千年山御伝略』江戸後期刊 江戸時代和本 徳川将軍・徳川家斉及び徳川家慶家系図 本居宣長に学んだ国学者。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。洋書 サンスクリット語 ヒンドゥー教 ブラフマヴァイヴァルタプラナ Brahmavaivartapurana 7冊セット 送料無料。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。越プA02139★『悲庵印款』木活字印本 / 趙之謙 和書 東魚文版 和綴本 松丸東魚 篆刻 印材 古書 書道 中国 美術 書籍。
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定